
「空気を読め」っていうの
さかんに言われだしたのって
この10年くらいじゃないかと
思うんですがどうなんでしょう?
KYなんてのも流行語に
なりましたよね。
(空気が読めるでも読めないでも
どっちも略したらKYじゃねえかと
思ったりもしますが(・へ・))
これができなくて
っていうお悩みもよく聞きますね~
仕事の場なんかでは
空気が読めないことによって
お客様との関係を壊したり
仲間内から孤立したりとかの
実害を受けることも
あったりするかもしれません。
でも、苦手な人にとっては
空気が読めるようになるって
ものすごく高度なことです。
(意外とだれでもできるような
簡単なことが自分はできてないって
思いこんでいるケースも
多々ありますね)
練習したりすることも
もちろん意味があるし
素晴らしいことではあるんだけど
自分的には
空気が読めない自分を
責めてることに
あらためて気づいて
そこに対処してくのが
優先なのではと思います。
空気が読めないってそんなにダメ?
たとえば会議の場で
いわゆる空気が読めてない
発言をしたとします。
自分自信で空気が読めないこと
=よくないこと
って思ってたら
「あ、やらかした!」
って自覚した瞬間に
しゅんってなって
小さくなっちゃいませんか?
逆に空気が読めないこと
=別にそれはそれであり
って思ってたら
満面の笑みで
「空気読めてなくて
すいませーん(・∀・)」
みたいに収めることも
できるかもしれないし
場合によっては
意見を押し通すことで
膠着したやりとりを
ブレイクスルーさせられる
かもしれないです。
裏を返せば
空気は読めるけど
場を壊すのが怖くて
何もできない人たちに
できないことができる
という見方もできます。
理想は
「読めるけど場合によっては読まない」
っていうのなんでしょうけど
そうなれるように
努力していこうとしてる間にも
できない度に自分を責め続けてたら
そもそもその努力も続かん!
ってなもんです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございます。