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こんにちは。
【オンライン心理カウンセリングなごやか】
心理カウンセラーのイヌカイです。
インターネット上のたくさんの情報の中から
この記事を選んでいただいてありがとうございます。
だれかに評価されるっていうことはすごくうれしいことですよね。
最近はいわゆる『他人軸』で動くとろくなことがないっていう風潮はありますが、
「他人からの評価が欲しいから」という理由であれ、
なにかの行動を起こして、成果を得たり成長できたりしたのだったら、
それを否定することなんかはないと思います。
だけれども、
「他人の評価が気になってしょうがない…」
「他人の言動に左右されてしまい自分が分からなくなってしまう…」
「自分を守るためについ嘘をついてしまったりする…」
「気にならないようにしたいけれどやめられない…」と
他人からの評価のありなしで極端に一喜一憂して、
評価されなかったりするととたんにやる気がなくなってしまったり、
人からの評価のために、自分が本来やりたかったことから
どんどん外れていきそうだったらさすがにマズいかもしれませんね。
今回は承認欲求と上手に付き合うために、
承認欲求と心の成り立ちの関係などを解説しながら、
評価の求めすぎを和らげる3ステップのエクササイズをご紹介します。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
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評価されたい気持ちは本来自然なもの
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人から認められたい、ほめて欲しいという承認欲求は人間の根本的な欲求です。
有名なマズローの五段階欲求でも生理的欲求、安全欲求、社会的欲求の
次にくるのが承認欲求です。
必ずしもこの順番どおりではありませんが、食事や睡眠ができて、安全に暮らせて、
人とつながることができるとなると、人に認められたいという欲求が出てきます。
集団や社会の中では下のほうにいるより上のほうの立場にいるほうがより生きやすいですから。
今の日本でははじめの3つはたいていの人が満たされているので、
特に承認欲求を求めることが目立つのでしょうね。
でも、別に承認欲求そのものがいけないことはなくないですか!?
人間は社会で生きる動物です。
より快適に生きていこうという本能の中で生まれる欲求を否定しなくてもいいのです。
問題になるのは承認欲求を満たすことが優先になることで、
自分の意思より他人の意思を優先してしまうクセがつくこと。
そして、そのせいで
長い目で見たら自分が損するような行動をとってしまうこと
分のやりたいことが分からなくなってしまうこと。
あまりに過剰に求めることで周りから距離をおかれること
などではないでしょうか。
承認欲求って切り捨てていいの?
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さて、少し前にベストセラーになった『嫌われる勇気』では
この承認欲求を切り捨てろと述べられています。
ざっくり言うと「良いことをしたらほめる」という教育では
「ほめてくれる人がいるからやる」という生き方になってしまうという主張です。
たしかにそういう側面もあるかとは思います。
100%他人の評価が気にならなくなれば楽ではあるでしょう。
「私たちは他者の期待を満たすために生きているのではない」ともあります。
それは究極的にはそうかもしれないけども、
やっぱり他人の期待を満たして感謝されたら
素直に喜べることだって人間らしさだと私は思います。
だいたい、他人の期待を満たすことを全否定したらビジネスなんか
成り立たないじゃないですか!
もちろん同書やアドラー心理学を否定するわけではないです。
(極論と極論の対立で話が進むので正直偏りがある内容だとは思いますが)
自分への執着から他者への関心へのシフトというのは
私も重要な考え方のひとつだと思いますよ。
だけど、そこにたどり着くまでに
「認めて欲しい、ほめて欲しいと思う自分」を否定してしまっては、
いつまでも心の奥のほうで「認めて欲しいほめて欲しいという思い」は
くすぶり続けるだけ。
結局「承認欲求なんて感じてはいけない」という気持ちで
ガマンを重ねてストレスを重ね続けるという状態になるだけ。
それって健全とは言えないですよね。
それに、冒頭でもちょっとふれましたが、ほめられるために行動すること自体は
別に悪いことではないと思いません?
実は問題の本質は行動をした→期待通りの承認が返ってこない→
落ち込んだり絶望したりするイヤな感じをを感じたくない→
回避するため本当は長い目で見たら損なのに、
承認されることが最優先なことをやりだす(やらずにいられない)というところにあります。
「自分で自分を評価する」の元になるものは?
では、人間は本能的に認められること、ほめられること、評価されることを
求めるというのは当然として、
客観的に見るとデメリットのほうが多いほど人からの承認を求めてしまうことについて
考えてみましょう。
『嫌われる勇気』では否定されていますが、“小さいときに認められる経験が
あまりなかった”というのはやはり大きく影響します。
それは、自信があれば人からの承認はいらないとか、
自分で自分を評価できればいいという意見に関する
重大な見落としから考えると分かりやすいです。
その見落としとは…
心の成り立ちです。
そもそも人の心は産まれてから実感・体験したもの、
特に関わった人びとのデータが細胞のように集まってできています。
自分で自分をほめたり評価したりするときに、
それまで出会い関わってきた親や友だちその他大勢の人たちと
一切関係ない視点で評価するということは不可能です。
心のベースが作られる小さい頃に評価してくれて認めてくれた人のデータが、
大人になっても心の中で同じことをしてくれるからこそ、
他人の評価を多く必要としなくなるし、
言葉すら分からないときに味わった安心感が根拠のない自信
(より正確には根拠の分からない自信)になるのです。
そして逆にその感覚が小さい頃に養われなかったとすると、
その満たされなかった小さい頃の自分の気持ちを味わいたくないがために、
心の中の『子どもの頃の自分』(の情報)はだんだん普段の自分から拒絶されていき、
心の奥のほうに追いやられてしまいます。
だから評価が得られない、認められないという事実に直面する。
↓
小さいころの自分の記憶とダブることが引き金となる。
↓
普段の自分から取り残された『子どものころの自分』に意識が移動してしまう。
そうすると大人である『普段の自分』の冷静さや客観性が失われてしまって、
なんとか承認欲求をみたすことに必死になってしまうのです。
結局は自己の承認ももともとは他人の承認なのです。
「評価の求めすぎ」を和らげるために
やっぱり他人の評価を必要以上に気にしてしまって、
自分の本当は持っている力を発揮しきれないというのは、
一度しかない人生においてとてももったいないことではあります。
ここからは3つのステップで「評価中毒」をやわらげる
エクササイズをご紹介します。
1,評価してもらえないときのイヤな感じをしっかり味わう
あがり症などでも一緒なのですが、
イヤだからといってそのときの記憶を
忘れよう忘れようとしてしまうとますます拒絶は強まり
皮肉なことに状態はどんどん悪化してしまいます。
ポイントは拒絶されている部分を冷静で客観視ができる
『普段の自分』の中に取り込んでしまうことです。
だから細かい感覚までしっかり思い出して味わっていく必要があるのです。
最初は一番最近その感覚を味わったときからでOKです。
というかそのほうがベター。
いきなり小さい頃からいくとよく分からなかったり、過酷すぎたりしますので。
やってみると正直不快極まりないと思います。
一時的にとはいえしんどいことをやってもらってごめんなさい。
でも、これまでとの大きな違いは、
わけも分からないうちに勝手にそうなってしまうのではなく、
自分から自分の意思で感じにいっているというところです。
これが『普段の自分』が使いこなせる範囲に取り込んでいくキモなんです。
(もしもひどい虐待などの強烈なトラウマ等が思い当たる場合は
無理に実行せず信頼できるカウンセラーなどにご相談くださいね。)
2,「今」の感覚とつなげていく
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もしも勇気を出して1にチャレンジしようという気持ちになれた方のために、
つらさを和らげながら効果をあげる方法もお伝えしておきますね。
イヤな感覚をしばらくじっと味わえたらそこから姿勢を変えていきます。
恐らく思い出しているときには、身体のかがめ方とか頭の位置とかが
“評価されなくて不安になったその時”と同じような状態になっていると思います。
座っているなら、まずはそこから立ち上がったりして、
またそのまま感覚を味わいます。
そしたらさらに片足をあげたり、つま先立ちしたり、
ちょっと立つのがきつい姿勢をとりつつ、
それを維持するために力を入れているところとイヤな感覚を同時に感じてみます。
いわゆるマインドフルネスの状態を身体を使って作っていくんですね。
こうすることで記憶から蘇ってくるイヤな感覚を、
今の自分の意思で力を入れている感覚で上回っていくことで
“自分で対処できる”
という感覚を手に入れつつ今の自分とつなげて記憶を見直していきます。
3,小さいころの自分を認めてあげる
だんだんイヤな感覚を継続してもだいじょうぶになってきて、
小さいころの自分が顔を出してきたら声をかけて
栄養補給してあげていくといいです。
このときには「ほめる、認める」よりも「感心する」という視点のほうが、
より根っこの人格や人間性、存在そのものを認めることにつながるので
ベターだと思います。
「××できてえらいね」よりも
「わー、○○ちゃんすごいなあ!」
というような感じで自分に声がけしてあげるといいですよ。
また、認めるとか感心するというと親から声がけするようなイメージを持ちがちですが、
友だちからのイメージでの声がけもしてみてください。
家族だけでなく外での人間関係も自分の心を作るのには大きく影響します。
親よりも友だちに評価してほしかったことってありますよね!
ぜひ、お試しくださいませ。
(『嫌われる勇気』で言及されている「ほめてはいけない」の本質は
上下関係と言うよりかは行動の評価<存在の評価にあるという要素が
より強いのではというのが私の意見です。)
行動の邪魔がなくなると選択肢が増える
他人からの評価をもらうことを一番の目的にして、
行動しないではいられない気持ちがだんだん和らいでくると、
自分で行動を選べるようになり選択肢が増えていきます。
言い方を変えれば人生の自由度が増していきます。
だからといって他人の評価のためにこれまでした行動や自分の人格まで
否定する必要はないですよ。
それによって得られたことだってたくさんあるはずですから。
また、行動を選べるようになったときこそ『嫌われる勇気』で言われている
ライフスタイル(思想や行動の傾向)を選び直すというのは力を発揮します。
選び直すとは言っても、別の一つに絞り直すという意味ではなく
その時その時に応じて最適と思われるものを選んで使うと言ったほうがいいですね。
フロイト的に過去に向き合うことも、アドラー的に未来に向けて考えることも
どちらが優れているわけでもなくどちらも大事なこと。
もしもあなたがより多くの選択ができ、より自由に生きられたらと思われたなら、
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最後までお読みいただきありがとうございます。
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